2005年11月15日

続・裁判官が裁かれる!?

前回の井上判事についての続きです。
http://tokusuru.seesaa.net/article/8803202.html

井上判事の持論は、彼の著書『司法のしゃべりすぎ』(新潮新書)を読めば詳しく知ることができるのですが、彼の思考は非常に論理的であり明快です。「判決を下す」という目的に到達するためには最短距離を行くものかもしれません


しかし、私は「それだけで良いのかな?」と思ってしまいます。


井上判事は、判決の主文という結論に到達するために論理的な首尾一貫性からはずれるものは、すべて蛇足であるとして審理不要なものとしています。

しかし、そもそも裁判所は、当事者が主張していないことは判断を下してはいけないことになっています(弁論主義といいます)。
ということは、判決の理由中に書かれている、井上判事が蛇足と呼んでいる部分についても、当事者が主張したために審理がなされたはずなのです。
当事者は審理を求めているということです。


また井上判事は、本来判断する必要がない蛇足について判断をしてしまったがために、当事者に不満が生じてしまうことがある、としています。

しかし、「当事者の求めに応じてしっかりと時間をかけて審理したものの、その結論が当事者の意に反する結果になってしまった場合」と、「審理を求めた当事者の要求を、最終的な到達点に達するためには不要であるとして判断をしなかった場合」とを比べて考えてみましょう。

自分の主張が受け入れられなかった当事者は当然に不満を持つでしょう。しかし、その不満は、審理もされずに門前払いにされた場合と比べてどうでしょうか?

結論を出すにあたって考慮する必要がないから審理しない、といわれたほうがその不満は大きいのではないでしょうか?


私は、裁判をはじめとする司法制度は国家が提供するサービスの一種類だと思っています。サービスであれば、利用者から批判・要望があれば改善を考えるのが当たり前の感覚なのではないでしょうか?

井上判事の言い分を聞いていると、本来主役であるはずの国民が無視されているような気がしてなりません。

制度を利用すべき国民あっての司法なのではないでしょうか?


以上、あくまで私見を述べてきたわけですが、私が裁判の当事者となって裁かれる立場となるとしたら、井上判事のような方が担当裁判官にならないことを祈るばかりです。
posted by きむたろ at 08:36| 東京 ☀| Comment(1) | TrackBack(1) | 法律 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
どうも。トラバありがとうです。
でも、関係ない記事にトラバされていました。もしかしたら、「司法書士検索はできません」というタイトルの記事だったので、「司法書士」つながりなトラバなのかなと思ってみましたが・・・たぶんトラバする箇所を間違えたんだろうと思って一応消しておきました。

さて、井上判事ですね。
このニュースおもしろかったんで、私もブログ記事にしようかなと思ったりしましたよ。
まあよくわかんないことをだらだら書くより簡潔にというのはよく分かります。
要は、主張に答えてるかということですかな。
「特段の事情」とかいいながら、主張されていた事情を全て検討していない、とか、判決内容に不満は残るけどそれだけで上訴するネタにはならない、ってときが、当事者にとっては不満だらけなのに何もできなくて困るって感じですね。。。
Posted by ましーん10号 at 2005年11月16日 16:20
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